ポセイドン2006/06/07 12:35

ペーターゼン監督がリメイクした『ポセイドン』を観てきました。

 娯楽に徹してます。しかもずいぶんと上映時間が短いからササっと見れる。見てる間はまったく退屈する暇を与えないように作ってありました。こういうのは大画面・大音量じゃないとおもしろさ半減かもしれません。
 ただし上映中はハラハラできるけれど、時間が経つと印象が薄れてくるタイプの映画ですね。ラストも少し物足りなさを感じました。
でも私はこの手の映画はけっこう好きです。

 70年代の『ポセイドン・アドベンチャー』に思い入れがある人なら、過度の期待をしがちでしょうけれど、新作は脚本もキャラクターも一新されていて、まるっきり別物です。人間ドラマは希薄。アクションに重きをおいた作り。どうしても旧作と比べてしまいますが、最初からまったく別な映画だと思って観るのが正解。
 ポセイドン号も旧作は郵船を改造した貨物船兼巡航船だったのが、新作では最新鋭の超大型豪華客船ということになってます。そのあたりのセットの豪華さも見どころ。

 こういう脱出劇は、つまりは人の一生を極端な縮図にして見せてるようなもんですね。災害をネタにしてるから災害が主役だと思ってしまうけど、災害自体は道具であって、当然ですがあくまでも主役は人間。
「死」というものを人間は普段はわざと考えないようにしてますが、いつどんな条件で死が訪れるのかは誰にもわからない。 パニック映画は登場人物がその恐怖に立ち向かい、克服する過程を手に汗握る演出で見せてくれる。だから面白いんじゃないかなと私は思います。


 で、ここから先は原作小説の話。多少「ネタバレ」とかいうやつがありますので、一言お断りしておきます。

 ジーン・ハックマンが型破りな牧師を演じた旧作の『ポセイドン・アドベンチャー』は、「人間ドラマがよく描けてる」というような評をあちこちで見かけます。
 でも原作を読むと、映画で受けた印象がだいぶ変わりました。
神に祈ってる暇があったら自分の力で闘え、そして勝て という考えの牧師さん、映画では彼はヒーローだし、その行動は弱者を助けることになるけれども、原作では必ずしもそうとは言いきれない。
彼は祈らない代わりに自分の行動でのみ神を感じようとする。常に障害に対して、自らの力で勝利をつかもうと努力する。なぜなら自分の勝利を神に約束したし、その姿を神が望んでいると信じているから。
 だけど彼が信じているのは「神」ではなく、神の目の前で自力で勝利する自分ではないかと思えるんですね。だから望みが絶たれたとき、最後の最後に神に大声で悪態をつくけれども、それは完全に一方的なやつあたりだったし、映画版で変更された自己犠牲の姿とも明らかに違う。

 さらには途中リタイアで飲んだくれてた男が助かったり、じつは彼等とは別のグループが船首のほうから楽に大勢脱出できたというのは、登場人物のみならず、旧作映画が好きな人にはショックな展開じゃないでしょうか。

 キャラクターは皆それぞれに立派な振る舞いをすることもあれば、心の中では誰かをけなしたり呪ったり、あるいは邪魔者に思ったりもしてるわけです。たとえば皆に嫌われていた仲間が不慮の死をとげたときや、危険を目の前にして自分が尻込みしたとき、あるいは苦労した様子もなく無事助かった人々を見たとき、登場人物たちの取り繕った言葉や態度の裏側にある心の声を、小説は容赦なく暴いて見せてくれます。

そういうわけで「人間ドラマ」がお好きな人は、原作も読んでみると一層楽しめると思います。ただしおもいっきりドロドロですが。
 個人的には映画版には出てこないシェルビー夫妻(スーザンとロビンの両親)の関係がリアルで怖い。これは怖すぎる。


 ところで、長らく絶版だった原作本が、映画公開に合わせて新訳で出たのは嬉しいことですが、タイトルが『ポセイドン』に変わってしまったのがちょっと嫌なかんじです。
小説も原題は『ポセイドン・アドベンチャー』なのだから、ここはそのままにしてほしいところですね。

When I'm Sixty-Four2006/06/19 16:00

 さきほどテレビをつけたら、ポール・マッカートニーが18日で64歳の誕生日を迎えたというニュースをやっていました。
なぜ「64歳」などという半端な誕生日が話題になるかというと、彼がビートルズ時代に作った曲 『ホエン・アイム・シックスティー・フォー』にかけた話題なのです。
 
 ぼくが年をとって髪がうすくなっても
 きみはバレンタインやバースデイカードを贈ってくれるだろうか

 64歳になってもきみはぼくに料理を作ってくれて
 ぼくを必要としてくれるだろうか

といったかんじの、65歳定年まじかをイメージした、つつましやかだけれど幸せな老後を夢見る他愛のない内容の歌なんですが、私は昔からこの歌が好きでした。ヒューズを直して庭の手入れをし、ひざの上には孫がいる、という、なんとも絵に描いたような定年後の姿がかえってほほえましいのです。

 この曲が収録されているアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、今からほぼ40年前のものです。若い頃にさんざん聴きまくったものですが、今では年に一度くらいしか聴かなくなりました。聴くたびにポールの年齢のことを考えてしまう癖がついたのはここ10年ほど。若い頃はポールが64歳になるなんてずっとずっと先のことだと思っていたんですが。

 ポールは先ごろ離婚をしたので、歌詞のとおりの結婚生活とはならなかったのは残念だけれど、もともとこの歌は彼の父親のことを歌ったものなんだそうです。
彼自身も自分が64になるなんて、録音した当時はリアルには想像できてなかったでしょうね。
 

 我が国でもかつて井上陽水が「父は今年2月で 65」と歌ってましたが、陽水自身が65歳の誕生日を迎えたら、そのことが話題になったりするんでしょうか。

現代植物画の巨匠展2006/06/21 23:18

 新宿の損保ジャパンビル42階「東郷青児美術館」で開催中の『現代植物画の巨匠展』に行ってきました。

 私は昔からマクロよりミクロに心惹かれる気質でした。
空を見上げて「宇宙」だとか「太陽系」だとかのことを考えると無闇に怖くなってくるし、生き物でも、たいていの子供なら大好きなはずの恐竜にはほとんど興味がありませんでした。そういうものよりも、裏庭に生えてる草とか、地面を這っている虫の行き先のほうが気になるのです。
そういう趣味なので、生き物の細密画を見るのも大好きです。

 植物画(ボタニカル・アート)というのは、本来は植物を学術的に同定したりする目的で描かれたものなので、どれもありのままに非常に細かく描き込まれています。絵は写真とは違って対象全体にピントをあてることができるし、画面のどこにも曖昧な部分がないところが、見ていて心地よいです。一枚の絵の中に、つぼみ、花、実、それらの断面図、などを混在させることができる点もおもしろい。

 展示作品の多くは水彩で、面相筆のような細い筆で丹念に丹念に描かれています。絵を見た感想としては変かもしれませんが、どれもじつに楽しそうに描いてるなあと思いました。おそらくどの画家も、色を塗りはじめたら、周りが見えなくなるくらい集中して塗っていたんじゃないでしょうか。

 ありのままに描くとはいっても、構図や構成は画家のアイデアなんでしょうし、当然個性もあります。花も葉も茎もすべてを等しい細かさで描き込む人もいれば、全体の一部をしっかりと描き、周囲は軽くぼかすように描く人も。
正直あんまりピンと来ないものもいくつかありましたが、120点ほどがズラリと一堂に展示されると、これはなかなか壮観です。

 一階のロビーで、絵の所有者であるシャーリー・シャーウッド博士のインタビューのビデオを流していました。これが短いながらもなかなか興味深い内容だったので、これから行かれる方はお見逃しなく。

 売店では図録とポストカードを数点購入。
この図録は日本の展示会用のものではなく、中身は英文で、今回の展示作品のすべてが載っているわけではないのが残念です。逆に言うと展示品以外のものも図録で楽しめるという考え方もできますが。
日本語で書かれた20ページほどの小冊子『出品作品リスト』が付属して、お値段は3900円。本自体はしっかりした内容のものですが、絵画展の図録として考えるとちょっと高いかな。帰宅してからもゆっくり楽しむために買ったのに、見たかったものに限って載ってないし(^^;

ポストカードはお手軽でいいんですが、どうせなら原寸大のポスターなんかもあるとよかったかも。

 この美術館ではゴッホの『ひまわり』や、ゴーギャンの『アリスカンの並木路、アルル』、セザンヌの『りんごとナプキン』を常設展示しています。ひまわりは初めて実物を見たけど、迫力がありますねえ。それまでさんざん細密画に顔を近づけながら見て回った後だけに、なおさら異様なほどの迫力を感じました。
やっぱり生の絵画はそれ自体に力がある。印刷物で見て、なんとなく知ってるつもりになるのは早計だなと思いました。

伊藤彦造イラストレーション2006/06/22 22:25

伊藤彦造イラストレーション
 

 おととし亡くなられた伊藤彦造さんの画集の復刊、というか新装・増補版。

 以前出ていたものは古書店で数倍の価格になっていたので、手頃な値段の復刊はたいへん助かります。
 
 この方の絵は、迫力のある闘いの場面でもふしぎなほど品があって、ペンの線がとてもきれいなんですよね。

 腰巻には「580作品収録」とあります。収録点数が多いのは嬉しいけれど、欲を言えば、最低でも雑誌掲載時のサイズで見てみたいなあ。掲載時よりも大きいものもありますが、かなり縮小されてる絵もあるので。

 私はこの方のことを、なんとなく時代劇専門に挿し絵を描いていた人だと思い込んでいたんですが、小学館が昭和40年から発行した『少年少女世界の名作文学』の挿絵も担当していたそうで、この画集でも、古今東西の小説のキャラクターをいくつか見ることができます。

中でもシェンキェヴィッチの『クオ・ヴァディス』の挿し絵などは、意外なほどハマっていて驚きました。
 (余談ながら、小学生のころの私は、この『少年少女世界の名作文学』を図書室から借りてよく読みました。このシリーズは今から思うと充実したラインナップだったし、執筆陣も訳者や監修、挿し絵にいたるまで豪華で、全体の編集も、子供向けだといっても決して手を抜かない一流のものだったように思います。できればもう一度読んでみたいと思うほど。)
 
 来月は弥生美術館にて『伊藤彦造追悼展』も開かれるし、時間があれば観にいきたいと思ってます。

イピゲネイア2006/06/29 16:55

 飛び飛びで読んでいた、ちくま文庫の『ギリシア悲劇』4巻を読了。
私は三大悲劇詩人の中では、エウリピデスがじつは一番好きだったりします。
 4巻の中では『エレクトラ』や『タウリケのイピゲネイア』を興味深く読みました。
 『タウリケのイピゲネイア』は、アガメムノンの娘イピゲネイアが生きていたという設定で、彼女は生け贄にされる瞬間に、憐れに思ったアルテミスによってタウロイ国に匿われて、巫女として生活しています。
 そこへ弟であるオレステスが捕らわれて来る。二人はお互いの素性にいつ気がつくのか、そして故郷へ無事帰国できるのか、というお話。

 これは同じくエウリピデスの『ヘレネ』とよく似た設定だけれど、『ヘレネ』の庇護者エジプト王テオクリュメノスが、ヘレネ可愛さから人の良さを発揮しすぎて、騙された姿が哀れでさえあるのに対して、イピゲネイアのトアス王はそれほどではないように思えます。それは恋愛要素があるかないかの違いなのかもしれません。
 同じように男を騙すにしても、「女」として騙すほうが罪なような気がするのは、私が男だからでしょうか。

 そして、これは解説にも書いてありましたが、この劇はデウス・エクス・マキナで幕を閉じますが、それを使わずとも、充分にストーリーは完結するので、あえて使っているとしか思えません。つまりデウス・エクス・マキナに頼っているわけではなく、場面を盛り上げるための演出として積極的に使ったものなのでしょうし、当時の観客がそれを望んでいるために、わざわざそうした、というふうに読めます。いわゆる観客サービスに近い役割だったんじゃないでしょうか。

 ちくま文庫に収録されている呉茂一訳とは別に、岩波文庫から『タウリケーのイーピゲネイア』(久保田忠利訳)が出ていたので、こちらも読んでみました。
 この文庫は訳注、固有名詞一覧などの資料が豊富で、巻末の解説もこの一遍にとどまらず、ギリシア悲劇全体のあらましもわかるようになっていて、私のような素人には親切な編集。

 左の画像は、『タウリス島のイフィゲーニエ』。昨年の岩波文庫のリクエスト復刊の一冊です。
 これは『タウリケのイピゲネイア』を材にとり、ゲーテが作り直した戯曲。
充分今日性のある内容で、それぞれの人物の掘り下げもみごとだし、ラストの変更も含めて素晴らしいと思いましたが、なぜこの悲劇を再構築しなければならなかったんでしょうか。
イフィゲーニエが王を騙して逃げるということに、ゲーテの女性観からして納得がいかなかったということなのかな、などと勝手に解釈。